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活字をこよなく愛する、建築系大学生の日常と考察。

純度100%の暗闇のエンターテインメント、ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました

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先日、ダイアログ・イン・ザ・ダーク というイベントに参加してきました。

 

青木優さんのブログ記事(まっくらやみのエンターテイメント、Dialog in the Darkに行ってきました。 | Hibilog | 世界一周と日常と考察ブログ)を昨年の秋に見つけて以来、ずっと行きたいと思っていたのですが、なかなか時間がとれず、ようやく参加できました。

 

 

目以外のなにかで、ものをみようとしたことがありますか?

 

暗闇の中の対話。

 

鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、足元の葉と葉のこすれる枯れた音と、

その葉を踏みつぶす感触。

土の匂い、森の体温。水の質感。

仲間の声、乾杯のグラスの音、白杖の先の触感。

 

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、まっくらやみのソーシャルエンターテイメントです。

 

参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、

暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障がい者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験していきます。

その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさを思い出し、

そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを再確認することになります。

 

世界全体で700万人以上が体験したこのイベントは、1988年にドイツで生まれました。

1999年以降は日本でも毎年開催され、約11万人の人が体験しています。

 

 

参加者は、最大で8人のグループになって、アテンドの方に導かれながら、純度100%の暗闇の中で様々なシーンを体験します。

現在は、東京の外苑前会場と、大阪会場の2カ所で開催されているようです。

僕は、東京の外苑前会場の方で体験をしてきました。

 

 

くらやみの中へ入る前に、財布や腕時計、スマホなどの持ち物はすべてコインロッカーへと預けることになっています。

まず始めに明るいロビーで軽い説明を受けてから、人の顔が辛うじて見えるくらいの薄暗い空間へと通されました。

そこで、アテンドさんから白杖が一人一本ずつ配られ、安全のためのルールをいくつか説明されます。

そして、アテンドさん2人を含めた10人で、お互い軽く自己紹介。

仕事帰りの会社員から大学生まで、幅広い年齢層・様々な職種の方がいました。

くらやみの中では、お互いニックネームで呼び合うようにしてください、と言われます(このときは特に深く考えなかったのですが、これをしなかったら、きっと暗闇の中で大混乱だったと思います)。

そして、簡単な自己紹介が終わると、いよいよ90分間の、純度100%の暗闇の旅が始まります。

 

 

純度100%の暗闇

完全に光の遮断された空間、というのは文字情報だけではなかなか想像しにくいと思いますが、本当に「まっくら」でした。

他人の輪郭はおろか、目の前に自分の手をかざしても何も見えない。

まぶたを開けても閉じても、ほとんど何も変わらなかったです。

まぶたからのかすかな圧力で、目を瞑った方が若干明るいかな…?という程度。

目の前には確かに実在する世界が広がっているはずなのですが、なんだか夢の中というか、空想の世界にいるような不思議な感覚でした。

 

 

-が+に転じる瞬間

暗闇の中では、日常生活で無意識に使っている視覚が全く頼りにならなくなります。

すると、普段当たり前のようにやっていることが、全く当たり前ではなくなって。

じゃんけんをする、みんなで一か所に集まる、なんて単純なことが本当に難しかったです。

 

けれど、視覚がゼロになる代わりに、聴覚・嗅覚・味覚・触角といった他の五感が研ぎ澄まされる感覚を味わいました。

足の裏で地面の感触を感じながら、聞こえる音で周囲の状況を把握して。

普段目を通して見ている景色が、他の五感を通して形作られていくような。

流れる水の音、他人の体温、草木の感触など、普段だったら見逃してしまうような小さな刺激一つ一つが、新鮮なものとして認識されました。

 

 

他人の気配

暗闇の中で、一番驚いたのは、人との距離感が読めなくなるということ。

少し声が離れただけで、すごく遠くにいるような感じがして。

声の聞こえた方向を頼りに、腕を伸ばせば届くかなあ、という距離まで近づいたら、すぐ目の前から声がして、実はもう10cmくらいの至近距離にいた、ということが何度もありました。

いくら真っ暗闇といっても人の気配くらいは読めるだろう、と思っていた自分には、かなりの衝撃でした。

10人全員が同時に黙ったりしたら、もしかしたら多少読めたりしたのかもしれませんが、みんなばらばらに、声を出したり物音を立てたりしながら移動している中で気配を読むことは、自分には至難の業でした。 

 

あとで調べてみたところ、「気配」は「体のまわりにある電気の膜」が原因なんだそうです。

そしたら、本来暗闇の中でも気配は読めるはずなんですけどね…

普段、目から入る刺激にどれだけ頼って生活をしているのかを痛感すると同時に、他の五感を全然使いこなせていないなあ、とも感じた体験でした。

人が密集している(であろう)空間を、スルスルっと誰にもぶつかることなく通過していくアテンドさんの滑らかな動きを感じたとき、それまでの「視覚障がい者」という認識が、「違うリソースを持った人」という認識に180°変わりました。

 

 

くらやみの心地よさ

最初、暗闇の中に入る前は、未知に対する昂揚感に加えて小さな恐怖感がありましたが、そんなものはあっという間に吹き飛びました。

声や手のぬくもりを通して、他人の存在を感じて自分の存在を認識してもらう。

そんな日常にありふれた行為が、こんなにも心地いいことだとは知りませんでした。

満員電車での混雑は不快なのに、ここでの混雑はなぜか心地よくて。

安心する、というか。

 

暗闇の旅が進むにつれて、年齢や職種による壁はだんだんと溶けていくのを感じました。

たった1時間前に初めて出会った見知らぬ人たちと、何の緊張感もなく話しているという状況がとても不思議でした。

 

後半に、暗闇の中でテーブルを囲み団欒をするという場があるのですが、その辺りでは、かつてないほどリラックスをしている自分を感じて。

90分の暗闇の旅を終え、外の明るい世界へ出るときは、まだ出たくない、もう少しこのくらやみの世界に浸っていたいとさえ思いました。

「くらやみ」はあたたかくて、優しくて、思っていたよりもずっと心地よい世界でした。

 

 

最後に

光のある世界に戻ってきて、 くらやみの中の体験を思い出しながらこの文章を書いているのですが、いまだに何かの夢だったかのように感じます。

DIALOG IN THE DARK、本当に刺激に溢れた体験でした。

考える体験というよりも、感じる体験だったからなのか、なかなか上手く言葉にできないのがもどかしいです。

この文章は、自分がくらやみで感じたことの3割くらいしか表せていないと思います。

 

何も見えないはずなのに、今まで見えていなかった何かがみえるようになる旅。

最高にオススメです。

友達と、恋人と、家族と、もちろん一人でも。まだ体験したことのない方はぜひ。

至高の90分間が味わえます。

 

参加する回によって、また季節によっても、内容が変わるようです。

また行こうっと。