五百羅漢図を背にはしゃいでポーズを
あけましておめでとうございます。
今年も箱根観戦と共に新年が始まりました。
ゆったりとわくわくする年にしたいです。
どこか気持ち悪いけれどすごいものに出会ってしまった、というのが正直な感想。
強烈な違和感が身体を通り過ぎていくような体験でした。
200人を超える大量のスタッフを指揮して全長100mを超える巨大絵画を短時間で完成させる方法論はフランク・ゲーリーに、それぞれ重なって見えました。
前者からは「歴史(あるいは日本的なもの)をどう再解釈・翻訳するか」、後者からは「巨大集団と先端技術をどうコントロールし、市場に展開するか」という問が浮かび上がってきます。
PLOT展では、「建築家のやっていることってみんな大して変わらないよね」と隣でつぶやかれた声が強烈に印象に残りました。
説明可能なことの追求と、説明不可能なものの追求は相反しないという話をGAではインタビューとしてまとめていただいた。これは常にある問題だけど、情報発信が大衆化する状況における変化の機微を捉えておかないといけない。
— 羽鳥 達也 (@_HATORI_) 2016年1月1日
2015年、世間を騒がせた、一連の新国立競技場問題。
ザハ案が受け入れられず、隈案が受け入れられた理由。
フランク・ゲーリー展の感想に頻出する、「印象が変わった(好き勝手かたちを作っているわけではないのか)」という声。
「PLOT展」という企画が成立する意味。
語られないものは組み込まれない。何をやろうとしているのかわからないから、評価できない。「当事者によって語られない」こと、それは現代の世界において大きなマイナスです。それが悪いという意味ではなくて、事実としてそうなってしまっている
語らなければ、伝わらない。のか? - チェコ好きの日記
村上隆展、フランク・ゲーリー展、PLOT展には、形は異なっていましたが、全てに過程・プロセスの展示がありました。
饒舌に語らなければ、伝わらないのか?
一方で、どうしても語りえないものとは?
五百羅漢図を背にはしゃいでポーズを取っていた女の子たちに、希望の光が見えるかどうか。
2016年、じっくりと考えていきたいです。
建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"
PLOT 設計のプロセス 展