:Archive

活字をこよなく愛する、建築系大学生の日常と考察。

3泊4日、北海道横断ドライブに行ってきました


久しぶりの、北海道の旅。

 

秋の気配のする、9月下旬の北海道。

3泊4日で、札幌から、釧路、知床、北見、旭川と巡ってきました。

 

 

f:id:lAube:20150925214644j:plain

 

 

 

 

 

初日

札幌から、帯広豚丼(※1)ののち、釧路へ(※2)。

 

毛綱毅曠のポストモダン建築(※3)をはしご。

何とも言い難い独特の雰囲気。

 

ネカフェ泊は初めてだったのだけれど、思っていたよりは快適でした(※4)。

 

 

2日目

釧路から、根室野付半島を抜けて、知床へ。

どこまで行っても見渡す限りの海・森・空、徐々に感覚が麻痺するレベル(※5)。

 

一方で、点在するまちでは、閉鎖したガソリンスタンドやボロボロの建物が目立つ。

九州に行ったときも思ったけれど、地方のこれからを、どうしても考えてしまう。

 

 

3日目

知床から、神の子池(※6)・摩周湖(※7)・阿寒湖(※8)、そして北見で焼き肉。

 

道中で、初日からの累計走行距離が1000kmを突破したのだけれど、どこまでも「緑」が広がる。

普段、街中で見る「みどり」がどれだけ調整されたものか、本来の「緑」の強靱さを目にして改めて思う。

 

 

最終日

北見から、層雲峡を抜けて、旭川(※9)でらーめん、そして札幌へ。

あっという間の4日間。

 

旅はやはりいいなと思った、あとはこの非日常をどう日常に持ち帰れるか。

残り少ない夏休みもきちんと過ごします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※1:豚丼。見た目とは裏腹に、ぺろっといけちゃいます。

f:id:lAube:20150922121921j:plain

 

 

 

 

 

※2:幣舞橋から見た、釧路フィッシャマンズワーフMOO(1989)。夕日がとてもきれいでした。

f:id:lAube:20150922172107j:plain

 

 

 

 

 

※3:釧路市立博物館(1984)と、

f:id:lAube:20150922165554j:plain

 

 

釧路市湿原展望資料館(1984)。

f:id:lAube:20150925214647j:plain

 

 

 

 

 

※4:人生初ネカフェで、ただ寝るだけなのはもったいないな、と思って「漫画 1巻 完結」とググって出てきた、『外天楼』を読む。あまり期待していなかったのだけれど、かなり面白かったです。ぜひ。

外天楼 (KCデラックス 文芸第三出版)

外天楼 (KCデラックス 文芸第三出版)

 

 

 

 

 

 

※5:太平洋とオホーツク海の狭間、本土最東端にも行きました。

f:id:lAube:20150925214649j:plain

 

 

 

 

 

※6:神の子池。

f:id:lAube:20150924111208j:plain

 

 

 

 

 

※7:摩周湖。2年前に訪れたときはこもっていて湖面が全然見えなかったので、感慨もひとしお。

f:id:lAube:20150925214652j:plain

 

 

 

 

 

※8:阿寒湖。コスモスがきれいに咲いていました。

f:id:lAube:20150924135932j:plain

 

 

 

 

 

※9:旭川では、旭川市庁舎(1958)、道立旭川美術館(1982)などを巡りました。写真は、旭川駅(2011)。

f:id:lAube:20150925214645j:plain

 

 

 

 

 

よろしければこちらもどうぞ。

 

laube.hatenablog.com

 

 

laube.hatenablog.com

 

 

 

「建築」としてそうであること

 

 

1 「変な建物」ということば

今年の3月、金沢21世紀美術館にて開催されていた「ジャパン・アーキテクツ1945–2010」を見に行った。同美術館と、ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館の共同主催である、日本初公開の貴重な資料を含む約80人の建築家のプロジェクトが一堂に会する特別展である。

 

会場は、展示されている模型を熱心に覗き込む、建築学生あるいは建築関係者であろう人たちで賑わっていた。一方で、模型を横目に「世の中にはこんなに変な建物がたくさんあるんだねえ」と話をしながらすーっと通り過ぎていく、建築関係者ではないと思われる来館者の姿も多くあった。ひとつひとつの模型をじっくりじっくり見つめる人の隣で、興味なさそうにつぶやかれる「変な建物」ということばに、両者のズレを感じたことをよく覚えている。

 

このようなズレが生じるのは、なにも展覧会に限った話ではない。実際の建築物でも同じような現象が起きている。「デザイン的には格好いいが使いにくい住宅」「建築が主張しすぎで作品鑑賞には向いていない美術館」などと評される建築がそうだ。ここでも、一般の利用者と建築家との間にズレが見られる。

 

 

 2 一般の利用者と建築家の違い

日本を代表する建築家のひとりである青木淳は、『新建築』2015年6月号内の月評において「どんな建築でも、一般の利用者と建築家では見えているものが違う」と述べている(青木淳 2015, p.226)。彼はこの月評の中で「静岡県草薙総合運動場体育館」(Fig. 1)と「ミュウミュウ 青山店」(Fig. 2)について、一般の利用者からの視点と建築の専門家からの視点で語っている。以下にそれらの一部を引用して示す。

 

静岡県草薙総合運動場体育館の前で、中を覗き込んでいたら、自転車に乗った近所のおじさんが話しかけてきた。「いい体育館でしょう。中に入るとねえ、木の匂いがいっぱいするんですよー。」/満面の笑みを浮かべたその自慢顔に、これこそ公共建築の理想だなあ、と思った。「かっこいい」でも、「立派」でも、「使いやすい」でもなく、「いい匂い」。ここにいるだけで、いい感じがする。

 

静岡県草薙総合運動場体育館は、建築の文脈で見れば、構造形式そのものがストレートに意匠になっていることに、そのすばらしさがある。列柱があって、その上に免震装置が乗って、水平スリットが生まれる。そこにスラストを負担する鉄筋コンクリートのリング梁が乗り、それと大屋根鉄骨トラスの間に、スギ集成材の円環状に配置された列柱が狭まる。「建築」への信頼に溢れた、衒いのない作品である。

 

ミュウミュウ 青山店は、建築の専門家なら、まず構成の妙を見るだろう。閉じた箱をちょっと開いてみせる、そのジェスチャーによって全体を統一された建築、というように。(中略)しかし、道行く人は、そんな分析をしない。五感で感じて、気に入るか入らないかだけのことだろう。/デザインの文脈で見れば、手を施すところと施さないところの区分けが画期的だ。エクステリアには手をつけない。つまりエクステリアを人びとの意識から消す。普通は逆で、エクステリアに意識が行くようにデザインする。つまり、これも一般の人には伝わらないことだろう。

 

 

f:id:lAube:20141110112724j:plain

Fig.1 静岡県草薙総合運動場体育館

 

 

f:id:lAube:20150322220449j:plain

 Fig.2 ミュウミュウ 青山店

 

 

彼は「静岡県草薙総合運動場体育館」の利用者からの視点を「匂い」から語り、建築の専門家からの視点を「構造形式」「意匠」から語る。同様に、「ミュウミュウ 青山店」では前者の視点を「五感」だと述べ、後者の視点を「構成」「デザインの文脈」から語る。青木はこれらの視点を大きく分類し、利用者の視点を機能性、シンボル性、創発性、建築家の視点を「建築」としての完成度、新奇性、批評性と述べている(青木淳 2015, p.226)。

 

先における「一般の利用者と建築家の間のズレ」は、このような両者の視点の違いから端を発したものであろう。建築家は、建築の新奇性や批評性を追い求めるあまり、実際にその建築を使う人の視点を欠いてはいないだろうか。本来これらふたつの視点は表裏一体の関係である。利用者がいなければ建築は成立しないため、建築家の独断はありえない。ふたつの視点の関係をどう読み解くか、どう形にするか、それが建築家の創意工夫のしどころである。建築の独自性や心地よさ、「いい匂い」の源は、そこから生まれてくるもののはずだ。

 

 

 3 「建築」としてそうであること

さらに、「一般の利用者と建築家の間のズレ」は、「一般の人と建築学生のズレ」にもつながっているように思う。莫大な情報がデータベース化され、いつでもどこでも「検索」という行為が可能になった今日では、データベースによる「お手軽」な「すぐれた設計」が可能になった(隈研吾 2010, p.6)。その弊害として、今の建築学生は、新奇性や批評性を追い求めるあまり、一般の利用者からの視点を欠いてはいないだろうか。極めて図式的で建築の面白さばかりを求めた建築に感化され、キャッチ―なコンセプトに惑わされ、実際に「モノ」として存在する建築と向き合っていないことはないだろうか。

 

最終的に「モノ」として出来上がる建築は、その存在が全てである。新奇性や批評性はあくまで副次的なものであり、実際にその建築を使う人たちにことばで説明をすることはできない。このとても基本的な認識を欠いた建築を、青木は批判しようとしているように思える。

 

かつて丹下健三は「建築家は現実の矛盾―民衆と建築のからみあいのなかにおける矛盾―その矛盾の中に欝積して潜在している民衆のエネルギーに、具体的なイメージを提示しようとする態度と問題意識をもって、創造にたちむかうことによって、民衆にむすびつくことができる」(丹下健三 1956, p.23)と述べた。これを受け、青木は「一般の人に見えていることと違っても、「建築」としてそうであることで、一般の人の無意識に伝わることがある。(中略)さて、以来60年経った今も、その議論は有効なのか」(青木淳 2015, p.226)と、読者に問を投げかける。実際にその建築を使う人の視点を常に忘れることなく、それらの視点と建築家(建築学生)としての視点というふたつの異なるものの関係をどう読み解くか、どう形にするか。これが、「建築」としてそうであるために、最も必要なことではないだろうか。

 

 

 

 

参考文献

青木淳(2015)「月評」、『新建築』、2015年6月号、新建築社、p.226

隈研吾(2010)「本物の闘いだけが他人を興奮させる」、『卒業設計日本一決定戦OFFICIAL BOOK せんだいデザインリーグ2010』、建築資料研究所、pp.6-7

丹下健三(1956)「建築設計家として民衆をどう把握するか おぼえがき」、『建築文化』、119号、彰国社、pp.20-23

 

 

 

 

laube.hatenablog.com